浴槽の栓

思ったことを言葉にして残す

CDと産業音楽

CDやiPodは音楽のあり方をある面で変えたと思う。
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CD以前には音楽はレコードという形で聞かれていたわけだが、レコードとCDには音質だけではない差異がある。それは「トラック」という概念である。

むろんレコード時代にも一曲目、二曲目...という曲の区分はあったが、しかしその曲ごとの間隔は合間の数秒によってのみ認識されるものであった。
ボタンひとつで確実に次のトラックへ行けるようになった技術革新は、この曲と曲の間隔を遠ざけ、レコード時代には存在していた曲同士の緩やかな連続性を切ってしまったと言える。

またiPodはさらにこの動きを進めた。「シャッフル」機能だ。
この機能は本来A-B-Cの順で流れる音楽をA-C-BやB-C-Aの形で聞かせ、我々に同じアルバムからも予想しなかったような新たな像を浮かばせてくれる。
しかしこの機能は、言うまでもなく作者の意向を無視した視聴を可能にするものともとれる。

かくして僕たちは道を歩きながらボタンひとつで9の階乗通りから1個のランダムな像を聞き、トラックを飛ばすことも可能になった。

このような聞き方の普及は音楽のあり方を変えるのだ。

音楽は、現代においては産業としての存在が主であるから、その需要に応えた形で生産する必要がある。

すなわちシャッフルに強く、スキップされないような音楽を作る必要がある。
組曲を中心としたクラシックやプログレッシブロックといったジャンルの衰退(と言ったら怒られるかもしれないが、今現在少なくとも発展はしていると言い難い)はこれが一つの原因と思える。
またいかにも産業的なシングルカット的音楽(アーケードからサビが流れてくるような音楽を想像してほしい)が流行するのもこれが理由なのだろう。

「産業」としての音楽はアイドルCDが何枚もまとめて捨てられている様が批判的に伝えられるように非難される風潮にある。しかし、そのようなあり方はCDを利用し、iPodを利用してきたわれわれの技術進歩からくる宿命なのかもしれない。