浴槽の栓

思ったことを言葉にして残す

Pink Floyd-狂気

f:id:ohuro2345:20160531214339j:image
不朽の名作と呼ばれる物が、本にしろ音楽にしろあるわけだが、そういうものを楽しむには少しそれができた時代に立ち返る必要があると思う。

ピンクフロイドは「プログレ五大バンド」の一つとして知られるが、その音楽性は他の四つと比べていまいち掴みづらかった(一番掴みやすいのはおそらくELPかYesだろう)。

しかし突然に今日、狂気を聞いたところ、思いがけず感動したことを伝えたくなり、このように文字を打っている。

なぜ突然に魅力が発見できたのか。理由はこれを組曲として捉えたことだろう。
前に書いたように、この音楽ができたときは、トラックという概念は存在しなかった。一曲一曲をつながりの元で聞くことで意味が見えてきた。

このアルバムはイギリスでは薬をする時に使われると言われるほど難解とされている。
元リーダーであり狂気の天才であったシドバレットが薬物に手を染めた後に作られたことを思うとそのような聞き方がされるのももっともなのだが、「誰の心にも存在する狂気」を描いたという話を元に聞いてみると僕には違った像が見えてきた。


ジャケットにもあるプリズムは一本の光を波長別に分散させることができる。
このように僕たちのいる社会を分けて、遠いところから見たのが「狂気」なのかもしれない。

金(T5.Money)や時間(T3.Time)と言った生活を縛る様々な事象を分解し、楽曲の形で分析する。
そのような過程を経てのみ、生活から生じる狂気を根元より知ることができる。

狂気とは何かを知ることは一方では人間的好奇心に基づいた営みだが、好奇心に基づいた言動は現代社会においてはタブーとなることが多い。
われわれはアルバムを聞きながら社会からだんだんと逃れて、離れていく(T2.On the Run)(T6.Us and Them)。

社会から逃れた先にあるのは二つ。
一つは自己(T8.Brain Damage)であり、もう一つは自然である。
開放感の中で(ここに至るまでわれわれは社会における閉塞感自覚しなかったのだ!)日食(T9.Eclipse)を眺めて、アルバムは幕を閉じる。

「月」の捉え方と違いもまた日本人にとってこのアルバムの鑑賞を困難にしている気がする。
東洋では、白居易の「三五夜中の新月の色 二千里の外の故人の心」のように月は人と人とをつなぐものとして捉えられている。これは、目印として不変なものと月を捉えたある意味理性的見方とも考えられる。
一方西洋では人狼や魔女の例にあるよう月は狂気をもたらすとされる。確かに、満月と感情の関係についてはいろいろな説も挙げられているが、いずれにしろこれらは感性的に月を捉えている。

洋楽を聴く時には論理的に歌詞を追う必要があるようにも思えるが、以外と感性を敏感にさせることも重要なのかもしれない。